強制連行中国人原爆犠牲者追悼碑前で、建立2周年記念追悼集会。 [追悼]
アジア太平洋戦争中に、中国から日本に強制連行された人々が、高島、端島、崎戸、鹿町炭坑などで
1、000人余りも強制労働を強いられていた。
このうち、ご飯をくすねたなどの軽い出来事を重罪に処せられ、旧長崎刑務所浦上刑務支所に入獄中に
原爆の犠牲者となられた32名の中国人を、懇ろに追悼する慰霊碑が2008年に建立された。
丸2年目の7月7日(水)午前10時半から、現地長崎市松山町・平和公園内の「浦上刑務支所中国人
原爆犠牲者追悼碑」前で追悼式が行われた。
この日は、追悼碑建設・維持管理委員会の本島 等代表、役員の高實康稔氏、平野伸人氏、新海智広氏
などをはじめ、建設に関わった人々など凡そ50人が参集した。
2年前の落成式には、行方が判らないままに60年以上も経って、漸く異国の地に魂の寄りどころが出来た
事を喜ばれた中国人遺族も何人かが参加され、碑の前であたり構わず号泣されたのを思い出す。
その遺族の中から、すでに2人が亡くなられている事を知らされると、遅れたとは言え我々民間人有志の
手によって追悼碑が建立出来た事の意義を改めて感じた。
被爆者代表として挨拶を求められた私は、「戦争は国が起こす。国の兵隊は国民を守らないばかりか
犠牲にする。戦争が終わっても、国は責任をとらない。我が長崎でも、強制連行、強制労働で多くの人々が
命を落とした端島に鎮魂の思いのカケラも無く、観光地化し、無念の思いを晴らせない魂を踏みにじって、
「 予想以上の成功、数万人の観光客が上陸観光した」、などと喜んでいる為政者がまかり通っている。
また、香焼町の旧連合軍捕虜収容所では、オランダ人など72名の死者が確認されており、収容所跡で
ある現香焼中学校の一角に、この人々の追悼慰霊碑の建立を実現したい。皆さんにもご協力頂きたい。
今日は、73年前の7月7日(廬溝橋事件)を思い起こし、戦争のない平和な世界の創造に力を尽くしましょう」
と結んだ。
11時02分になり、全員で黙祷を捧げて追悼式を終了した。





先生の記事を弊ブログにて紹介させていただきましたのでご報告申し上げます。他の記事も勉強させていただきます。
http://jpdragon.blog.so-net.ne.jp/2011-08-10#more
行政書士 篠原拓生
by リス太郎 (2011-08-10 02:12)
> リス太郎様
コメントありがとうございました。
どうぞお使い下さい。
by toyoichi (2011-08-12 10:29)
中国人原爆犠牲者の碑が建立された経過には色々不透明な経緯がありますね。申請書に彫り込む中国人の名前が不詳のまま申請が出され、建立後に正式な書類としてでなない名簿が出されましたが、建立ありきの不法行為と言われても仕方がない不透明なやりとりがあります。
また、現在彫り込まれている内2名の漢字が間違っており、8名の名前の確認が正式な法務局の収監記録には見つけることができて居ません。
この中国人「ご飯をくすねた」という罪であれば窃盗罪なのでしょうか?正式な書類には「崎戸炭鉱の放火、爆破及び日本人居住区の襲撃未遂」となっています。炭鉱を放火・爆破されたら、何百人もの炭鉱労働者に命が失われていたことでしょうね。
昔のことなので、不明なこともあるかも知れませんが、真偽の定まらない誤った情報の発信は市議の立場から適当なものでなないと思います。
by 長崎市民 (2014-06-12 19:25)