ヴァイオリン演奏家・河村典子さん長崎へ。来秋のコンサート会場探し。 [長崎]
スイスを拠点に、コントラバス奏者の夫と共に活躍中の河村典子さんが、
「バッハの無伴奏曲100ヶ所演奏会」を実行中である。
長崎には、知人も多く、10年ほど前に知り合いの外国人作曲家が作った曲「浦上」を、
カトリック浦上教会で演奏したこともあり、長崎は是非とも100ヶ所の一つに加えたい
希望があった。
河村典子さんの活動を支えている、新宿ゴールデン街の「バー・十月」の歌人ママ・
久保田和子さんは、多彩な芸術家たちとの交友の中から、7日(土)、東京の強力サポーター
と連れ立って長崎入りされた。
別の用件で、来崎していた河村典子さんと企画・演出家の井原和洋さんも合流して、市内各地の
名所などを、井原市議の案内により、まるで「ロケ地探し」のように巡回調査した。
やはり、最適な条件は、野下千年主任神父に丁寧にご案内頂いた「カトリック中町教会」だと思われた。
早速その夜には、「仮称・長崎サポーター」の予備的な、集まりを開いて気勢を上げた。
小宴会を開いた「プリマヴェーラ」では、河村女史が即興のヴァイオリン演奏を行い、
すっかり盛り上がった。
来年秋の企画ながら、「即実行の井原東洋一」が動き出した。
長崎市議会議員 井原東洋一





聖福寺修復。民間支援動き出す。チャリティーオペラ。「蝶々夫人絵巻」 [長崎]
1677年延宝5年に鉄心禅師によって開創された萬壽山・聖福寺は約330余年の
歴史を有する黄檗宗の名刹であり、長崎県指定の文化財である、大雄宝殿、山門、
天王殿、涅槃図、長崎市指定の惜字亭、鐘楼、梵鐘、石門など文化財の宝庫である。
しかし経年老朽化による損傷が大きく、文化財といえども、個人負担額が億単位の
巨額となり、檀家数が非常に少ない聖福寺のみでは、手に余る大事業である。
今話題の「龍馬伝」にもあるように、かつて「いろは丸事件」の談判の場所でもあった
事から、観光予算をつぎ込むことも考えては如何かと市議会本会議質問で投げかけてみたが、
田上市長は「民間の動きに期待する姿勢」から発展してはいない。
幸いにも今年9月1日に「万寿山聖福寺大雄宝殿修復協力会」が結成され、募金運動が
始まり、いろいろなチャリティ行事も行われるようになってきた。
10月31日の「長崎蝶々夫人絵巻」のチャリティ・オペラもその一つであった。
上海万博で好評を博した「蝶々夫人」のハイライトが再演された。ピアノ・後藤美樹、
ヴァイオリン・斉藤 亨の演奏により、蝶々夫人・星野恵利、ピンカートン・松野尾啓一、
召使い・田中絵里と最少人員でのオペラながら、大いに盛り上がり、大成功であった。




亀山社中資料展示場。土日・祝日大ブレイク。 [長崎]
「龍馬伝」の放映が始まってから、亀山社中周辺への観光客が集中している。
特に、土日・祝日は大ブレイクの様相であり、30日(土)の夕刻に資料展示場
に上ってみると、当日の入場者が700人近くを数え、3人のスタッフは
てんてこまいの状況であった。
いま、展示場のすぐ近くに、休憩所と公衆トイレを整備中で3月には完成する。
亀山社中資料展示場は、歴史を重ねてきた「亀山社中ば活かす会」が設けた
民間施設ではあるが、終日に亘って全くのボランティアによる運営だけに、
行政による何らかの援助が必要であろう。





「みらいながさきココ・ウォーク」 [長崎]
「ココ・ウォーク」に何となく立ち寄り、映画でも観ようかと見回したが、
適当に興味を引く作品が上映されてなく、観覧車がゆっくりまわっているのに
気をとめた。
何年も前に福岡西区に日本最大級・直径100メートルの大観覧車が完成した頃、
孫にせがまれ妻と3人で乗った事を思い出し、観覧車から観る長崎の風景は
どんなものだろう?との好奇心もあって、500円を使ってみた。
なる程、ココ・ウォークの屋上庭園やブリックホールを上から観るのは、
珍しい景観である。
長崎港方面が展望出来たが、北側浦上方面は、アクリル窓の透明度が
多少制限されていて、隙間からしか見えなかった。
10分間の童心から我に返り、「レッドキャベツ」で、どっさりと食料品を買い込み、
明るい時間に我が家へたどり着いたのは久し振りだった。





合体平和標語推進の自転車隊。今年も折り鶴を携えて。 [長崎]
8日の16時。ヒロシマ・ナガサキ合体平和標語感謝自転車行進隊の皆さんが、
今年も元気に来崎された。
長崎県被爆者手帳友の会平和祈念会館で、西本千鶴子代表以下20名近い代表団
を受け入れ、井原会長が応対し懇談した。
この会は、「被爆国首相よ!8月6日、9日を人類総ザンゲの日とし、休日に制定せよ!」
と赤い折り鶴のイラスト入りの標語を掲示し、議会請願運動や、広島・長崎原爆の日に
向けては、東京、川崎などから自転車行進による慰霊の旅を続けている団体である。
一枚一枚に祈りの言葉が記された折り鶴千羽を、絵画模様にデザインし額縁に収めて、
関係先に贈られる。
私も4年前に受けている。
また、9日午前9時からは、郵政ユニオンの仲間を中核とするピースサイクルの皆さんを
代表する17名が、全国各地の自治体首長等から長崎市によせられたメッセージを携えて、
長崎原爆資料館で、長崎市長へ手渡した。
市長を代理して受け取った多以良館長は、「皆さんの継続した運動の成果が、オバマ発言
にも繋がっている。核兵器廃絶に向けて今後とも力を合わせて頑張りましょう」と、労を
ねぎらいながら、激励された。





平和集会。慰霊祭など相次ぐ。長崎県宗教者懇話会主催慰霊祭にも出席。 [長崎]
8日18時30分から、長崎県教育文化会館で、郵政ユニオン九州など「8・8集会実行委員会」
が主催した「第13回8・8平和を考える長崎集会」がおこなわれた。
来賓挨拶に立った私は、今年から来年5月の国連核拡散防止条約再検討会議に向けた
運動の重要性と、間近な衆議院議員選挙では、よりましな政権への選択と民主的な関与の
必要性を訴えた。
引き続き、長崎原爆落下中心地公園で、19時から開かれた長崎県宗教者懇話会主催
による「第37回原爆殉難者慰霊祭」に出席した。
この慰霊祭は、世界平和の為に、神・仏・キリストの諸宗教者が宗派を超えて組織された
懇話会が活動を重ねてきたもので、第37回目は、天理教長崎教区長が開会挨拶された。
次いで、天理教の雅楽、カトリックと仏教合唱団のコーラス、興福寺住職による献水、
諏訪神社のお清めの儀、新宗連青年会による献灯が行われた。
式典では、PL教団、カトリック、世界連邦日本宗教委員会、世界宗教者平和会議
日本委員会などそれぞれの代表者から、慰霊の言葉がのべられた。
特に今年は、カトリック教皇庁諸宗教対話評議会議長の、ジャン・ルイ・トーラン枢機卿
が出席されて慰霊の言葉を述べられた。
全員黙祷の後、諏訪神社巫女4人が浦安の舞を奉納し、参加者による献花及び、
「長崎の鐘」を全員で合唱した。
閉会のことばは、カトリック滑石教会が担当され、一般参列者の献花へと引き継がれた。
世界平和のために諸宗教対話が最も進んでいる長崎の融和度の高さをここに見た。





第7回世界平和市長会議。長崎市で単独開催。 [長崎]
核兵器廃絶と世界の恒久平和を目指して、1982年に設立された世界平和市長会議は、
4年毎に開催され今年で7回目を迎え、8月7日から10日まで長崎市では初の単独開催
と成った。
現在、134ヶ国、3、047都市が加盟しているが、今回は米国など核保有国を含む
過去最大の142都市と6団体参加のもとに開催された。
今回の総会には、16年振りにデスコト国連議長が出席して挨拶された。
8日の13時30分からの開会式では、副会長を務める田上長崎市長が
「オバマ大統領一人で核無き世界が実現出来るわけではない。私たち一人一人が
演説を支持し、オバマ氏と共同作業を行う事が大切だ」と主催都市として挨拶し、
司会進行役をつとめた。
平和市長会議会長の秋葉 忠利広島市長は、「核兵器廃絶が世界の多数派だとして、
オバマジョリティの運動高揚と2020ヒロシマ・ナガサキ議定書が来年の核拡散防止
条約再検討会議で採択されるよう、取り組みの強化など諸課題克服の重要性」を
流暢な英語で訴え、「イエス・ウイ・キャン」(我々は出来る)と結んだ。
デスコト国連議長と金子長崎県知事からの来賓挨拶の後、基調講演に「核兵器廃絶
への新たな展望」と題し、(宇宙への兵器と原子力の配備に反対するグローバル・
ネットワークコーディネーター)ブルース・ギャニオン氏の講演が行われた。
15時30分からは、総会と全体会議が行われ「市民と都市が国を動かす」ことの
確信のもとでの熱心な本格協議が行われた。





7・23長崎大水害から27年。 [長崎]
昭和57年7月23日の「長崎大水害」から27年の歳月を数えた。
長崎市内で299名の命が失われたが、あの日の犠牲者第1号は、我が小・中学時代の
竹馬の友・中村博司君だった。
引揚者として苦労していたが、絵が飛び抜けて上手く、また、俊足でスポーツ万能、
特に野球が得意だった。
三菱電機の技術学校に進んだ俊秀だったのに、まだまだ学歴差別が歴然と存在していた
時代だったので、工業高校から九州電力に就職した私に、よく悩みを打ち明けていた。
まだこれからという時に、大水害の犠牲になり夭折した中村君に改めて冥福を祈った。
時あたかも山口県防府市では、警戒警報が発令されていたにも関わらず、避難勧告を出さず、
避難指導も行わなかった行政の怠慢が問題化している。
行政には、よその災害事例が活かされていなかった。


ペンギンビーチ。オープン。 [長崎]
長崎ペンギン水族館では、自然の海でペンギンが泳ぐ様子を観察する事が
出来る「ふれあいペンギンビーチ」を7月11日にオープンした。
オープニングに先立って、日見幼稚園の園児たちが、自慢の太鼓演奏や
ペンギンの歌を元気良く披露した。
ペンギンの人工ふ化や生息長寿世界一などのほか、保育しているペンギンの
種類でも日本一で話題を呼んでいる長崎ペンギン水族館にまた一つ、
世界初という話題が加わった。
飼育係の皆さんから、3ヶ月余りかけて、慎重に訓練を受けてきたフンボルト
ペンギンたちは、テープカットの後、多数の来賓や観客の拍手の中を、ヨチヨチと
歩きながら、人工海浜を通り抜け、勢いよく海中に飛び込んだ。
海の中を自由自在に泳ぎ回っているペンギンたちを、果たしてどんなにして陸上に
呼び戻すのだろうか?と案じていたが、そこは専門家。
「空腹の状態で海に入れ、餌をかざすと集まって来る生態を利用している」
とのことで納得。





検証 「軍艦島」の実像。(シンポジウム) [長崎]
長崎港の沖合に浮かぶ周囲1.2キロメートルの小さな無人島が、いま、にわかに
脚光を浴びている。
長崎市がこの4月22日から「上陸観光地」として開放したからである。
そのために長崎市は、1億円余をかけて、3ヶ所の展望スペースを持つ遊歩道、
200余メートルを整備し、ドルフィン桟橋を改造して、立ち入り制限付きながら
上陸観光を許可した。
「廃墟ブーム」とかで、年間目標2万人に対し、3ヶ月足らずで1万人に達する
「盛況」を見せている。ただ、観光客の9割近くが県外客だと聞く。
しかし私は、長崎市のこの計画に反対し続けて来た。
かつて小さな瀬にすぎなかったこの島に石炭が発見されたが故に、三菱が目をつけて
荒瀬を加工し、海中深く坑道を造り、大三菱隆盛の基盤的事業として炭層の隅々まで
手を加え「黒ダイヤ」を堀りつくした。
戦時中の強制連行、強制労働、囚人労働、数多くの犠牲者など「陰の歴史」を封じ込めた
まま、エネルギー革命の波の中に沈めて30年間以上も放棄してきた。
いま、それらの「負の歴史」の検証も、正しい説明も、鎮魂の意志も無ないままに、
「土足で踏み荒らす」観光地化・「見せ物」にする事に納得出来なかったからである。
7月6日のシンポジウムは、かっての「監獄島」の歴史を改めて学ぶ機会となり、
自分の考え方の正当性を確信する事ができた。
歴史を正しく知り、語り、伝えて、単なる「観光島」に終わらせず、「希望島」にするため
の方向性を理解する良い催しであった。
この島に生まれ、閉山・廃島まで生活していたという同僚議員が「見せ物にしてほしくない。
傷口を荒々しく触られる様な痛みがある。楽しかった思い出があるだけに心境は複雑です。
で暮らした人々は皆同じだと思います」としみじみと語ってくれた彼の思いを私も共有する。