片淵4・5丁目自治会敬老会。自前料理に自前芸術団。 [お祝い]
片淵4・5丁目自治会(井原東洋一会長)は、9月21日の敬老の日の11時から、
町内の73歳以上249名の高齢者を対象に、「敬老会」を開催した。
前日から役員や有志が智恵と力を出し合って会場を設営し、女性部は
そこらのプロにも負けない料理の技を出し合って、高台にある公民館への来場を待った。
最高齢95歳、90歳以上15名を数える対象者のうち、53名の皆さんの元気な姿を
迎え入れた。
物故者への黙祷、会長からご長寿をお祝いする挨拶、90歳と95歳の節目の高齢者
への祝い金贈呈などと進行し、「15名の新入者(73歳)」の代表からお礼の言葉を
受けて乾杯。
手作りの豪華なご馳走に、皆さんの感謝と喜びの声を聞き、お世話する全員も満足だった。
宴たけなわとなり、「片淵芸術団」の出番である。
祝舞に始まり、民踊、舞踊、三味線演奏、相撲甚句、安来節、コント、手品、歌謡、
詩吟などと切れ目なしに芸能は続いた。
たっぷり2時間半、まだまだ名残惜しさの中でお開きの乾杯となった。
別包みのお土産を手に手に、来年の元気な再会を誓い合い、あふれる笑顔で散会した。





賑町青年部主催による「賀寿の会」。「花月」にて。 [お祝い]
賑町青年部は昨年の「長崎くんち」に「恵比須船」を奉納した勢いがまだ旺勢である。
青年部が主催して、喜寿を迎えられた大岩さん、荒木さん、還暦の石野さん、高村さん、
厄入りの元村さんの「賀寿祝」が、367年の歴史を重ねた丸山町の長崎県文化財
「史跡料亭・花月」で盛大に開かれた。長崎倹番の芸者さんたちの指導による、
お上品なお座敷遊びも若者らしくアレンジして、ハチャメチャさも加えられ、大ブレイクした。
井原西鶴が「長崎に丸山という所なくば、上方の金銀無事に帰宅すべし」と記した丸山の
面目躍如と言うことであろうか。
かくして、賑町の老・中・青の関係は益々濃密さを深めるのであった。





川瀬 正博さんご苦労さん会。全九電同友会総会も。 [お祝い]
全九電長崎支部の書記長として「原則を貫き妥協しない川瀬」
の名を高め、常に会社側が手を焼いていた川瀬正博さんは、
組合活動、政党運動でも正義感に満ちた誠実な姿勢で、
42年間のサラリーマン生活を終わり、3月31日に九州電力を
退職する。
会社や反動的な労働組合の幹部たちは、ホッと安堵の胸を
撫で下ろしているかも知れない。
13日には、長崎市の「ホテルニュータンダ」に長崎県下の有志
凡そ30人が集まり、鈴子夫人共々に労をねぎらうご苦労様会と、
同時に全九電同友会事務局長就任をお祝いした。
川瀬正博さんは、全九電長崎の歴史と自らの運動とを重ね合わせて、
感慨深く自信にみちた挨拶で締めくくったが、やはり彼には時間が
足らなかった。
きっと彼は正義の運動を止めることなく、生涯現役を貫くに違いない。
同友会会長には、野口伸一さん(元全九電長崎支部委員長・現事務局長)
が昇進、副会長には倉 幸男さん(佐世保)が就任して、三役が20歳ほど
若い世代に交代した。
1泊2日の語らいは、懐かしい昔に戻った。





齢・73歳。孫たちからメールのラッシュ。「篝火」の美人ママからも。 [お祝い]
3月9日。満73歳を迎えた。
数日前に、3人の息子達から「元気祝」の品を贈られ、
また、姉や姪や友人たちも「誕生祝いの会」を計画し、
あちこちからお便りや電話を頂くなど、ちょっとしたフィーバー。
当日は、5人の孫たちからもそれぞれに、「益々元気に!」
「健康に留意して!」「飲み過ぎないように!」「ゆっくり休みを
取って!」など気遣いのメールが並んだが、「長生きしてね!」
には、走り続けの人生を、ふと省みる警告だと素直に受け止めた。
小料理「篝火」は、まるで桃の花園。
お雛飾りも、珍しくて高貴なものばかりが大小15種類も揃えられ、
まさに雛祭りの中に迎え入れられた。
その上プレゼントまで戴いた。「貴女の美しさが輝いて、桃の花が
ボケて見える」とお礼の言葉にかえると、美人ママの「若やぐような
流し目」をいただいた。
皆様、有難う有難うと心の底から、感謝!感謝!。
エネルギーは満タンになった。




パーティールーム「ベル・カント」 駅前に開店。 [お祝い]
長崎駅前商店街に、2月14日、新しい文化拠点がオープンした。
食菜厨房「岩崎グループ」(岩崎誠一夫妻)が自社ビル2階に
設けたパーティールーム「ベル・カント」(美しいうたごえ)である。
最大20名程度と、その倍近い人数でも利用可能な大小2つの
部屋には最新式の通信カラオケが設けられており、通常のカラオケ
はもとより、宴会などの二次会に最適な拠点を目指している。
一般的なカラオケルームの閉鎖性とは全く異なり、内装設備は
豪華で開放的、しかも安価な利用料でのリラックス空間となっている。
おつまみ、料理、飲み物などは隣接のレストラン「プリマヴェーラ」で
対応するが、お客様馴染みの店舗からの利用も可能であり、
長崎駅前商店街の全店舗の底上げを目指している。
来賓挨拶に立った私は、「ここに来れば、誰に気遣う事もなく、直ちに
“美空ひばり”になれる、“石原裕次郎”“北島三郎”にも、いや、
“福山雅治”になって自己陶酔出来る。カラオケを開発した井上大祐さん
に感謝し、ここを設けて下さった岩崎誠一様ご夫妻に感謝し、ベル・カント
の名付け親である野下千年中町教会主任神父様に感謝しながら、
大いに活用し、岩崎グループと長崎駅前商店街の発展を確信しましょう」
と結んだ。
各界からの100名近い招待客の中には、早速「石川さゆり」や「五木ひろし」
になりきっている人もいた。




美しい花に囲まれて。和子72歳の誕生日。 [お祝い]
2月9日。亡妻和子の誕生日。
子どもから、姪から、美しい花が、それも和子が大好き
だった薔薇の花、蘭の花、水仙などが贈られてきた。
67歳で年がとまったままの和子は若い。
和子は今に生きている。
「お父さん。薔薇を漢字で書けるね?憂鬱て書けるね?」
と難題を押し付けては困らせていた和子を思い出させる
1日だった。
その薔薇が、三男から贈られて来た。





「現代の名工」坂本洋司さん、黄綬褒章受賞祝賀会。 [お祝い]
長崎市役所食堂、通称「さかもとレストラン」のマスターと
言ってしまえば失礼ながら、20年以上も毎日のように
食事を頂いている身からすると、「ヨオー!」という間柄なの
である。
全日本司厨士協会の重鎮として活躍され、数ある賞を
すべて手にしておられたことは良く承知していたが、
平成15年には、厚生労働大臣表彰「西洋料理・卓越最高
技術顧問」そして「現代の名工」に選ばれ、キャップも一段と
高くなり最高の年だったであろうと思っていたが、平成20年
の今年は、更に「西洋料理・アカデミー金賞」に輝いた上、
秋の褒章で「西洋料理の向上に尽力された功績」により
黄綬褒章を受賞された。
誠に喜ばしく、心からお祝いしたところだが、本人は
「昨年亡くなった妻のサポートがあったればこそ」と、まず、
ひろ子さんの墓前に報告されたとの事。
3年忌を前にして、この栄誉はひろ子夫人への最大の
供養になった、と感情移入して胸が熱くなった。
昨20日の長崎全日空ホテルグラバーヒルでの祝賀会には、
国会議員、知事、長崎市長始め各界の知名士、凡そ200人が
参集し、郷土芸能やバンド演奏など友情出演もあって、大変に
盛大な祝賀の会であった。
シェフ姿を見慣れているので、羽織袴姿の坂本洋司さんには
意外だったが、「昨年の還暦祝いに諏訪神社の節分豆まきの
ために、家内が誂えてくれたもの、着用は今夜で2回目」と何時も
妻を思う秘話を聞き、3人のお孫さんからそれぞれ手作りの
金メダルを受けながら坂本さんの目にキラリと光るものを見て、
つい私も、亡妻和子に真の供養が出来ているのかを脳裏に
描き、万感胸に迫った。




軍艦島を世界遺産にする会。暫定登録を祝う。 [お祝い]
端島、通称「軍艦島」が、ついに「九州・山口の近代化産業遺産群」
の一つに組み入れられ、平成20年9月26日に文化庁が世界遺産登録
に向けた国内暫定リストに加えて発表した。
まだまだユネスコの暫定リスト入りを経て、世界遺産本登録への道のり
は険しいが、ここに至るまでの努力は、専ら私財をなげうって孤軍奮闘
して来た坂本道徳さん(軍艦島を世界遺産にする会理事長)の献身に
よるものである。4日夜、1,000万ドルの長崎の夜景を見下ろす稲佐山
観光ホテルで「暫定リスト登録の報告・祝賀会」が開催された。
この島で少年時代を過ごして来た坂本道徳さんが、炭坑廃坑後無人島
となって25年後の同窓会で級友達と端島を語り合った時、かれの全身
全霊を揺り動かしたものは、「石炭島が果たした役割も、人々が暮らして
いた歴史も絶対に風化させてはならない。いや風化させない」との強い
決意であった。
彼は、職を辞して「軍艦島を世界遺産にする」という途方もなく壮大で夢の
様な目標を掲げて活動に専念した。
苦節10年、初めは全く見向かれもしなかった運動は次第に世間の耳目を
集める事となり、九州各地の心ある人々と連携し、学者や公を巻き込む
うねりを作り出して、大きな第一歩にたどり着いた。
彼の言葉を借りると、「端島は島の中から観たもので、軍艦島は外から
観たもの。世界遺産の目標は、それが一体化した」という。
「報告会」には田上長崎市長も駆けつけて祝辞を述べたが、これから先は、
行政と市民の役目である。
坂本道徳理事長が、「軍艦島ありきではなく、同時にリスト入りした、
旧グラバー住宅、北渓井坑跡、小菅修船場跡と共に軍艦島がある」と喜びを
かみしめながらも冷静に、特に強調したのが印象的であった。
報告会場の輝きは、眼下に観る長崎の夜景にも勝っていた。



中華人民共和国建国59周年記念祝賀会 [お祝い]
中華人民共和国建国59周年にあわせて、日中平和友好条約
締結30周年を祝う記念祝賀会が昨夕、ホテルニュー長崎で
開かれた。
主催した駐長崎中国総領事館の藤安軍総領事は、先の四川省
大地震災害に対する長崎県民の見舞いと支援に感謝の言葉を
述べ、北京オリンピックの大成功に重ねて中国の改革開放政策の
成果を挙げ、長崎との友好交流の益々の発展を促したいと挨拶された。
来賓挨拶に立った金子知事は、国会議員15年間での訪中は2回
だったが知事になって既に15回を数え、3日前に北京から帰った
ばかりと日本の知事では、最も中国通だと胸を張り、文化、スポーツ、
観光、経済交流など各般の友好交流発展に努力することを約束した。
日中国交回復以前には、労働者が中核となって友好運動を進めてきた
ものだったが、30年経った今では、招待者も政、官、経済関係者と
中国からの留学生で溢れ、労働界からの参加者は数人しか
見当たらず隔世の感がした。
親しき隣人として、労働者交流も活発化してほしいものだと思った。


キヨミ姉さんも世界の旅へ。 [お祝い]
井黒キヨミさん82歳。私の実姉である。
地球一周の3ヶ月余の船旅に「原爆語り部の一員」として参加する。
9月4日の横浜港出発を前に、身内が相集い激励の壮行会を開催した。
年齢よりも若い力を十分に発揮し、持ち前のユーモアと何があっても
くじけない強さを駆使して、若者たちともよく交わり、アメリカによる一発
の原爆投下によって、被爆者たちが受けた肉体的、精神的な苦しみと、
結婚や就職差別、仲間ができないための孤独、生活苦、絶望からの
自殺など、多くの苦闘の事実の中から立ち上がり、仲間をつくり、組織し、
力をつけて政治を動かし、苦難を克服して、核廃絶、戦争反対、
「世界平和は長崎から」「長崎を最後の被爆地に!」との到達点までを、
身を持って未知の世界の人々に教え、伝えてきてくれるものと思う。
与えられた任務を十分に果たし、明るい笑顔で帰って来ることを
祈っている。

